「生命の神秘」とは少し大げさですが、「生きている」とはどんなことだろうという大きなテーマを考える上でも「薬学」を学ぶメリットがあるように思います。私が生命とは細胞分裂の連続だということを理解したのは(遅いかもしれませんが)、大学生の頃でした。生命は受精卵から始まりますが、このうち一部が生殖のための細胞に分化し、残りが私たちの身体をつくります。
ここで生殖細胞に注目すると、雌雄の生殖細胞が出会って受精卵となり、それが分裂してまた生殖細胞になり、という連続した営みを見つけることができます。こちらを生命の本線と考えると、私たちの身体は枝分かれしたおまけのようなもので、しかも行き止まりです。個人にとっては残念なことですが、本線を確保するための乗り物が私たちという見方もできます。そして、本線を過去の方に遡っていけば、いずれは性別もなくただ分裂を続ける、バクテリアに似た細胞へとつながっていくはずです。
このことは、教科書ではもちろん書いてあるのですが、本当に理解したのは随分遅くでした。大学の実験では、不死化したがんのような細胞をしばしば取り扱っていたのですが、そもそもそういう細胞とは不思議なものだと考えて、あらためて最初の事実に思い至ったわけです。
世の中では「生命の神秘」をうたった様々な情報が発信されていますが、その多くは生物を学ぶことによって知ることになる驚きとは比べものにならない、上滑りなものです。生命が持続していること、そしてその仕組みは実に巧妙で精巧です。生命の素晴らしさを知るためには、前世がどうとか、そういう情報は一切必要ありません。生命について先人が見つけてきた一つ一つのしくみについて勉強するだけで、生命に対する大きな畏敬の念を覚えることでしょう。
最近では、「サイエンスコミュニケーター」という呼び方もされますが、科学知識を啓蒙する、また一般の人たちに科学の見方を身につけてもらう、そんな仕事も生まれつつあります。現代は未曾有の「あやしい」科学がはびこる時代です。科学は決して一部の人たちの専有物ではなく、誰もがその手段を共有し、メリットを享受するべき性質のものなのです。
「薬学」では物理から生物まで幅広い知識を学びます。それらを真摯に学ぶうちに、みなさんの中に自ずと「生命」観ができていくことと思います。こうした体験は、「生命」が当たり前である医学にもないものですし、一方で「物質」に焦点をおいた理工学にもないものではないでしょうか。
2008.05.30田中智之
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